新聞記事に思う
2022/12/01(木)
日々のこと
今朝の出来事です。
朝日新聞の記事を切り抜き、「これを読んでみい!!」と渡されました。
そこには、「ただいま」と言おう、との題で始まり、
今年の6月に、56年間連れ添った夫が、85歳で旅立っていきました。
夫婦って、普通に空気みたいだったので、いて当たり前でした。
いなくなって初めて、共同生活を送っていたのだと実感しています。
数ヶ月が過ぎて、干し柿のシーズンに成りました。
毎年、富山県に住む親戚から渋柿を送って頂いて、ベランダに二人で吊るして、2,3週間ほどで吊るし柿になるのを楽しみにしてきました。
今年はひとりで作業をしていたら、悲しみのスイッチがはいり、涙がこみ上げてきました。
そんな夕方、家の近くを散歩していたら、ご近所の男性が「ただいま」と言って玄関に入って行かれ、中から「おかえり」の声が聞こえてきました。
今まで、幾度となく聞いていた言葉が胸にドーンと入って、思わずウルウルしました。
何でもなく日常に使っていた「だだいま」「おかえり」がこんなに心に響くものなのか。
これからは、「おかえり」の返事が無くても、「ただいま」と玄関を開けよう。
今年のつるし柿も、何事もなかったかのようにおいしくできあがりました。
神戸市在住 80歳の記事です。
年のころもあまり変わらず、毎年恒例の吊るし柿づくりに余念のない私に、何を言いたかったのであろうか。
われわれも近い将来こんな道を歩むであろう。
「おまえもこんな気持ちが、いつかは来る」と、そう告げられた様でジーンとした朝食でした。
管理グループ 近藤