諏訪ノ森の地名

2021/05/31(月) 日々のこと

諏訪ノ森界隈は、明治30年に南海本線が開通するまでは、浜寺公園に続く松林でした。

当時は浜寺村字船尾と称され、諏訪神社の周りは松と楠が茂り、まるで森のようだった事から「諏訪ノ森」と駅名が付けられました。

 

また新しくここに住むようになった人々は、駅名から付近を「諏訪ノ森」と言うようになりました。

南海鉄道は「白砂青松、前面に静かな海と後背に金剛葛城の山並みを望見できる佳景の地」とうたって、浜寺周辺の高級住宅地の開発に乗り出しました。

 

その後、住所表記は「諏訪森」となり、南海電鉄の駅名は「諏訪ノ森」のまま残っています。
〔諏訪ノ森マップより〕

 

ここまでの町名の由来を読んでみると、想像も付かないのどかな風景があったようです。

今では高いビルこそありませんが、諏訪神社の周りが松や楠の群生地であった面影はひとかけらも残って居りません。

南海本線の高架工事も始まっており又、辰野金吾の設計によって建てられた諏訪ノ森駅舎がどのように生かされ、明るい新しい街として発展して行くのか、楽しみにしている一人です。

 

地域の著名人で山本富士子さん、堺市濱寺国民学校〔現在 浜寺小学校〕昭和13年入学

   〃   藤本義一さん      〃             昭和14年入学

藤本さんは親子二代で浜寺小学校で学んだと、記されています。

近所の耳鼻科に行くと、藤本さんを良く知るお年寄りが楽しそうに話をしてくれますよ!

 

住めば都、美和工務店も諏訪ノ森に事務所を構えて早30年。

地域の皆さまに愛され親しまれて「美和さ~ん!みわさ~ん!」とお声を掛けて頂いて居ります。

これからも地域の皆さまと共に歩んでいける様、がんばって参ります。

管理グループ 近藤

1ページ (全75ページ中)